善悪二元論 ideas of good and evil 2003 6 14

 善悪二元論というものがあります。
この考え方は、ベターであって、ベストではない。
確かに、悪と見えるものは、多くある。
そこで、悪を倒さなくてはならないと考えて、
実際に悪を倒すことになる。
 しかし、善悪二元論を保持すれば、
たとえ悪が倒れても、次の悪を探さなくては、
善悪二元論そのものが、成り立たなくなる。
善悪二元論を取り続ける限り、
永久に悪を探すことになる。
そこに問題が含んでいる。
 永久に悪を探すことになれば、
相手の悪の部分を大きく見て、
相手の善の部分を小さく見ることになる。
これでは、永久に争いごとは、なくならない。
 これは、宗教にも言える。
自分の宗教と相手の宗教の違う部分を大きく見て、
相手の宗教と同じ部分を小さく見る。
これが、宗教戦争の原因である。
 まず、第一歩として、
自分の宗教と相手の宗教を比べて、
同じ部分を探すことである。
 自分の宗教と相手の宗教を比べて、
違う部分ばかりを探すのは、子供の仕事である。
 同じく、相手の悪の部分を小さく見て、
相手の善の部分を大きく見るべきである。
相手の善の部分を大きくしていくことで、
相手の悪は、時間はかかるけれど、小さくなる。
そうして、子供を育てているのではないか。
どうして、相手が大人になると、これができなくなるのか。
 善悪二元論は、ベターであって、ベストではない。
 聖書にもこうある。
「あなた方も聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と
命じられている。
 しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
 あなた方が、天の父の子となるためである。
父は、悪人にも善人にも、太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも、雨を降らせてくださるからである。」
 こうも言われているはずである。
「人を裁くな。
あなた方も、神によって、裁かれないようにするためである。
あなた方は、人を裁く裁きで、神によって、裁かれ、
さらに、人を量る秤で、神によって、量られる。」
 さて、どこで、どう間違えてしまったのか。
もう一度、原点に戻るべきである。
 恨み心で、恨みは解けない。
 恨みは、恨みを生産するだけである。
 敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
 相手の悪の部分を小さく見て、
 相手の善の部分を大きく見るべきである。
 相手の善を大きくしていくことで、
 相手の悪は、時間はかかるけれど、小さくなる。
 

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